Suda Note

Suda Note | 社長ブログ

小学6年の卒業文集のタイトルは・・・

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2011.10.28

私は「埼玉県飯能市」というところで生まれ、中学1年までを過ごしました。
西武池袋線の終点にあたる場所ですね。

山や川や茶畑や雑木林に囲まれて育った子供時代のことは、美しく切なく、夢のような日々として思い出されます。飯能で育ったことに感謝しています。

先日、実に30数年ぶりというあり得ないくらいのタイミングで、「小学校の同窓会」に呼んでいただきました。主催された皆さんが、ありとあらゆる手をつくして、半年がかりで昔の同窓生を探してくれたそうです。本当にありがとうございます!

30年ぶりの再会・・・ 楽しい会になるのか、ならないのか、不安な気持ちでいっぱいでしたが、いざ現場に着いてみると、小学校時代の悪ガキの笑顔そのままのおじさん達が多数いるではないですか! 驚いた!みんな立派になっていて、そしてまだまだ元気。30年以上経っても、あだ名で呼び合える対等な関係。何ともいえない懐かしさがこみ上げてきて、本当に楽しい会でした。

さて、その会場で発見したのが小学校の卒業文集。
自分の作文があるのかどうかとページをめくってみたら・・・ おお、これだ!

20111028

こんなことを書いていたんですね!(iPhoneで撮影)。

今の我が社の経営理念に深く通じるものがあって、すごく笑えたというか、感銘を受けたというか、不思議な気持ちです。この頃と今と、基本は変わってないな・・・
当時は、「マジメなことを書いてしまってカッコ悪い!でもこれしか書けない!」と恥ずかしく感じたのを思い出しました。

『我慢』 須田騎一朗

人間に一番大切なのは、我慢することだと思う。我慢のない人間なんて、土台のない家のように、地しんが来れば、すぐにぐらぐらと倒れてしまうだろう。

例えば、千メートル走をしていて、自分はまだ、がん張れば走れるのに、つかれたので、ぬけてしまったとする。ところが、そのとき後ろにいた人が、最後まで走りきって賞状をもらったら、いくら自分が、
「あのときは、ぼくの方が前だった。」
と言っても、賞状をくれるわけがない。我慢することが、足りなかったのだ。

なぜ、ぼくがこんなことを書いたかというと、何週間か前、父におまえは我慢が足りない、と言われて父の学生時代の話を聞かされたからだ。その話というのは、父は、高校へ行きたかったけれど、行かしてもらえず、やっと両親が行かせてくれた学校は、養蚕の学校だった。それでも我慢して、一生懸命勉強したので、一番で卒業したそうだ。しかし、それでもまだ勉強したいので、働きながら夜学に通い、そして、苦労の末に今、こうして生活しているのだそうだ。

つらいこと、苦しいことを乗りこえずによけていたらいけない。いいことは、その困難の上にあるのだ。自分から困難にぶつかっていけば、必ずいつかはいいことがやって来るはずだ。ぼくも父のような手の皮の厚い人間になりたいと思う。

(望遠鏡の絵は、天文が好きだったので描いています)

少年時代に一気にタイムトリップした、すばらしい週末でした。

須田騎一朗
ユナイトアンドグロウ代表
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