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10年ごとにサバティカル。こんな働き方はどうだろう

Suda Note | 社長ブログ
2013.11.09

2013110901

アコンカグア(Google)

9年ほど前に仲良しになった、スイス人の経営者が来日していたので、久しぶりにお会いしました。日系企業のスイス法人で貿易をやっている人。・・・だと思っていたら、実は会っていなかった4年間の間に、まったく違うことをやっていました。

親友から頼まれて、中国の広告会社(ドイツ人と中国人の合弁)の社長になってしまったのだと。ところがこれがとんでもない会社で、北京オリンピック(2008年)を機に急成長をしたものの、200人の社員が皆んなポケットを2つ持っていて、会社と個人に売上を分けて着服していた。原価は会社に。利益は個人に。オリンピック景気が終わった後は毎年大赤字で、もうダメかもしれない。要するに、不良会社の立て直しで雇われ社長を頼まれたわけです。

彼は果敢にもその会社に乗り込み、言葉も文化もまるで異なる中国人幹部のマネジメントで大変な苦労をしたとのことです。細かい苦労話は英語が難しくなりそうだったので聞きませんでした(笑)いや、聞けませんでしたが、なんとなくは想像できます。言葉が通じない環境での経営は、それはもう大変だったことでしょう。「経営」の主たるツールは「言葉」なんですから。
彼は、広告ビジネスを売却したり縮小したりし、まったく別の業態を立ち上げ、従業員もほとんどを入れ替えて、2年強で黒字化に成功しました。一時期は数十名まで減った社員数も300名に復活。最後は株主を切り替えることでドイツ資本の回収を実現した上で、自分で自分を首にしました。
3年の間に心身は消耗しつくしたのだけれど、ものすごい勉強になったとのことです。しかし仕事はなくなった。

「とんでもない苦労をしたと思うのだけど、今なんでそんなに若々しいの?」と聞いたら、「それはいい質問だ!」と。

社長を辞めたあとに彼が選んだ道が大変ユニークで、自分にとって最もゆかりのない場所として「アルゼンチン」を選び、6歳の娘と奥さんの3人でブエノスアイレスに引っ越しました。そこで1年半を過ごしたそうです。娘は地元の幼稚園に入れたので英語とフランス語に加えてスペイン語も喋れるようになり、家族全員が暇なので南アメリカ大陸をくまなく旅行した。主要都市はもちろんのこと、アマゾン奥地の裸族の村にも、標高7,000mのアコンカグアにも行った。(娘と一緒に!)そうして今はビジネス界に復帰したので、私とも再会したと。

1年半とはすごい長いバケーションですね!! 本人はこれを「バケーション」ではなく「サバティカル」と言っていました。辞書をみると「大学教授などに与えられる長期有給休暇。日常の研究から離れてまったく別のことをする、特別研究期間。安息日」と書いてあります。sabbatical。こういうのいいですね。当社のミッション「働き方を革命する」の事例のひとつだな。私たちの会社でもsabbaticalやりましょう!!

そういえば彼と仲良くなれたきっかけは、ドバイでした。前職と現職の間、2度目の創業期といえば聞こえがいいですが、要するに無職だった時に、ドバイのビジネス交流会に参加しました。私の仕事も生活も、ドバイとは何の関わりもないのに。西欧人に囲まれて、英語はうまく聞き取れず、しかも無職の私は肩身の狭い気持ちになっていたのですが、「日本が好き」という彼が話しかけてくれました。この頃、6ヶ月間で50以上のセミナーや海外イベントに出かけたおかげで、私は何者か、これからどうしていくべきか、見つめ直すことができました。異業種の友人も増えました。あれが自分にとってのサバティカルだったのだと、これを書いていて思い出しました。

私の場合、23歳のフリーター期、29歳の創業期、39歳の第二創業期、それぞれ意図的につくった「無職みたいな」期間があって、これが焦燥感や劣等感などマイナス材料も含めて滋養となり、次のステップに向けてエンジンを点火する源になったと思います。大学教授だけでなく現代人にはそういう時期が必要なんだ!と、自分都合ですがそのように思います。これを、もう少し計画的に、仕組み的に実現できると、多くの人がもっとハッピーになれるのではないかと思うのです。

須田騎一朗
ユナイトアンドグロウ代表
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