DAILY WORK
UGの日常

「夢があったら言っとけ」と言われて育ちました

  • 中途(30代〜)向け
2023.07.26

こんにちは!採用広報のあさのっちです。
今回は2006年入社の「手羽(塩)」にインタビューしました。

UGを創業期から知る手羽(塩)さんが語ってくれました。
ぜひご覧ください!

工場長からITエンジニアへ

ーー本日はよろしくお願いします!手羽(塩)さんとじっくりお話するのは今回が初めてな気がします。まずは自己紹介をお願いします!

よろしくお願いします!2006年の10月に入社した手羽(塩)です。UG17年目になります。
北海道出身。相模原在住。ボウリング、釣りが趣味です。

ーーありがとうございます!「手羽(塩)」さんというパワーネーム(呼ばれて元気になる名称)がとてもユニークですよね。由来を教えてください。

入社してすぐの月末に全社員で合宿に行き、その移動中のバスのなかで、「あだ名」(当時はあだ名。数年後に「パワーネーム」へ移行)が決まってない人の分をみんなに決めてもらうことになったんです。自分の分がなかなか決まらず決める方も飽きてきたころ、誰かが焼き鳥のネタを言い始めて、そこから注文のようにたくさんの案が出てきました。その結果、落ち着いたのが「手羽」。最後に「たれと塩どっち?」と聞かれて「じゃあ塩で」と答えて手羽(塩)が完成しました。自分で決めたのは「塩」という部分だけですね。

ーーてっきり手羽が大好きだからかと思っていました!社内でもかなり浸透していますよね。

手羽が強烈に好きというわけでもないんです(笑)でもなんだか愛着がわいていて、ずっとこのパワーネームですね。自分でも積極的に言ったり書いたりしています。

ーーあと手羽(塩)さんといえばボウリングですよね。大会にも参加されていましたよね?

健康保険組合のボウリング大会に何度か参加しました。マイボウルも持っていますよ!ボウリングは高校時代に友人に誘われたことをきっかけに、大学に入ってからどっぷりハマりました。キャンパスの目の前がボウリング場で、授業の合間にしょっちゅう行っていたんです。社会人になってからも続けていて、新卒で入社した会社でも同僚たちとよく行っていました。

ーー前職でもボウリングをやっていたんですね!そのまま前職のお話を聞かせてください。

UGは3社目です。新卒で入社した会社は、レーザープリンターのトナーカートリッジを扱う会社でした。営業担当が回収してきたカートリッジをリサイクルするために分解、掃除、充填などを行っていました。

ーー最初はITエンジニアではなかったんですね!専門技術が必要そうですがどのように身につけたんですか?

実は僕が入社したときはまだリサイクル事業をやっていなくて。トナーカートリッジをリサイクルできることは分かっていて、お客様に「リサイクルもやってくれないかな?」と相談を受けていたタイミングでした。そこで入社1年目の僕に白羽の矢が立ち、リサイクル事業をやってと言われたんです。

ーーえ!新卒1年目ですよね?部門を立ち上げたんですか?

はい。入社後、1週目は研修、2週目はお客様訪問に同行したりしていて、3週目から一人で部門を立ち上げて、技術開発、品質管理、あと技術習得のためにアメリカ出張にも行きました。

ーーえええ!!!一人で立ち上げたんですか!?

そうなんです。たしか内定もらったときに「任せたい仕事があるから」とは言われていたんですが、ちゃんと声をかけられたのは入社後ですね。
そこから部門をだんだん大きくしていって、9年間で15名以上に増えました。工場も3拠点になり、工場設備の設計にも携わりました。

ーーすごすぎますね・・・。そこからどんなきっかけで転職されたんですか?

当時の社長が病気になり、年齢の高い社員たちが自分のポジションを守るためにいろいろ工作しはじめました。自分は当時30歳くらいで、その光景を見ているのが嫌になったんです。会社の景気が悪くなってきたこともあり、早期退職募集がかかったのでそれに乗っかりました。

ーー転職先はどうやって決めたんですか?

トナーカートリッジの仕事が次に活かせるとは思わなかったので、ほかの道を考えたときに「ITだな、ITの世界に飛び込もう」と思いました。もともと趣味でPCを組み立てたりしていたら、1社目の社長に「PC詳しいんだって?」と声をかけられ、工場業務の合間でPCの購入やセッティング、ネットワークの整備などをやっていたんです。当時はインターネットがそこそこ使えるようになった時代で、自分なりに調べながら有線LANや拠点間のVPNを引いていました。

ーー独学でやっていたんですね!転職先ではどんな業務を担当されたんですか?

1年間、データセンターで働いていました。資格もないしそういう部門にいたわけではないので、派遣社員として障害監視部門で働きながら合間に勉強していました。資格を取ったら正社員登用もあると聞いていたので、1年後CCNAを取得しました。が、正社員にはなれないと分かったので二度目の転職をすることにしました。

データセンターでの経験は、ITの世界でやっていく自信をつけられるほどにはなりませんでした。得られたのは、サーバーとはなにか、データセンターとはなにかを知れたことですね。実物も見ながら、インフラとして支えるものを学びました。

ーー二度目の転職でいよいよUGと出会うんですね。どんなきっかけでUGを知ったんですか?

UG(当時はテクネット)からスカウトメールがきました。そういえば最初に面談したのが須田さん(社長)でしたね(笑)

ーーえ!?そんなことあるんですね!

UGはまだ創業2年目で、当時の副社長が採用を担当していました。オフィスに到着したちょうどそのとき副社長宛に電話がかかってきてしまい、採用面談を代理で対応してくれたのが須田さんだったんです。コーポレートサイトを見て須田さんの顔は分かっていたので、びっくりはしたけど思いの丈をどーんとぶつけられて、完全に心をつかまれました。

ーー相当なインパクトだったんですね。須田さんの言葉で印象的だったことはありますか?

正直全然覚えていないですね(笑)須田さんの熱い言葉にグッときたってことだけ覚えていて、細かいところを覚えなくても気持ちが向いていたって感じです。とにかく話が楽しくて、聞いていておもしろかったです。

初日に惚れ込んでしまったので他社とは迷いませんでした。あと面談で印象に残っているのは「ここの会社はなんでくっきり二重の役員ばっかりなんだ?」というところですかね(笑)

できる方法を考えたら行動するのみ

ーー事前に手羽(塩)さんについてリサーチしてきたんですけど、「マルチ稼働(※)の開拓者」って本当ですか?

※マルチ稼働:同時期に複数社を担当する働き方

2011年頃だったと思うんですけど、当時ピンポイントのお困りごとにちょこちょこ対応することはあっても、同時期に複数社を担当する働き方っていうのはあまりやっていなくて、1人1社をしっかり担当することが多かったんです。ただそのお客様先を卒業するとしばらく空白の期間ができてしまうことが多々あって、売上はもちろん自分の収入にも影響があるので退職してしまう人もいたんですよね。そんな状況をなんとかしないとと思い、「どうしたらもっと売上を上げられる?」というのを何度かゲリラ的に仲間で集まって話し合いました。そこで「一人が何社か担当できるといいよね。」って意見が出たんです。

その意見をヒントに「今の仕事を半分に減らして、残りの半分でもう1社を担当できるといいのでは?」と思い、早速お客様と交渉して調整しました。2社並行して担当していれば、仮に1社卒業となってももう1社で働いている状態なので売上への影響が半減されるという考えですね。

ーーそういう経緯があったんですね。

“開拓者”って言ってしまうと聞こえがいいですけど、僕のなかでは「いかに合法的に(=会社のルールを守りながら)、楽に仕事をするか」を考えて動いているだけなんですよね。当時もうひとつやったことがあります。夏休みを長期でとりたくてお客様に「代わりの者を連れてくるので休みます!なにかあれば連絡とります!」って相談してほかのメンバーに引き継ぎしました。おかげで無事に夏休みを満喫できました。これは間違いなく最初にやったんで、”開拓者”ですね。UGにはお客様と調整できてから、事後報告しました。

ーーえー、すごい!ここまでの話を聞いているとかなりチャレンジャーな印象を受けました。

かっちり枠にはめられているのが嫌いなんです。座右の銘は「鶏口となるも牛後となるなかれ」。中学のときに習って、すごく心に響いたんですよね。自分にも合っていると思いますし。

ーーもしかして、チャレンジしているというよりは「こうなったらいいじゃん!」と思ったことを行動しているだけ、という感覚ですか?

そうです!で、UGはそれを「やってみよう、やって失敗したらそれをみんなで共有すればいいし」というスタンスだったんです。できない理由を考えてしまってなかなかチャレンジしづらい会社もあるじゃないですか。でもUGはどんどんチャレンジしていこうという文化が最初からあったんで、そこが自分に合っていたみたいです。もちろん、なじむ時間は必要でしたけどね。

ーーほかにも自分で行動したなと思うエピソードがあれば教えてください。

アメリカに子会社があるお客様先を担当したときに出張しました!現地に設置しているサーバーの入れ替え作業プロジェクトを計画し、お客様先の社長に相談してOKをもらって行きました。1週間ほど滞在し、現地のIT担当者ともつながりをつくってきました。UGへの相談も旅行保険の話など、行く前提での相談でしたね。

ーー海外出張!枠におさまらないことを次々と実践されてきたんですね。事業部長を務められたのもその「行動」の一環ですか?

そうですね。これも先頭に立ちたがる性質ですね(笑)事業部長やユニットリーダーは、経験してみたくて積極的にやってきました。UGは出世という概念がない会社じゃないですか。なので出世を意識せずにやってみたいことを経験してこれたと思います。

「シェアード社員」引退後の夢

ーー最近はどんなことに注力しているんですか?

「スキマを作ること」を心掛けています。昨年、勤務時間いっぱいに仕事を詰め込んでいたら担当のお客様から急に「もう少し時間を増やせないですかね?」とリクエストをもらったことがありました。どうしても自分じゃないと対応できなかったので、すでにパンパンなスケジュールにさらに仕事を追加したんです。そしたらやっぱり疲れてしまいました。それからは勤務時間の30%くらいスキマを残して、その時間は有休取得や担当するお客様での緊急対応などに充てるようにしています。スキマで新しいお客様の仕事を引き受けることはやめました。

スキマができたことで売上は多少下がるけど気持ちが楽になりました。がんばれそうなときは現在担当しているお客様先で仕事を開拓しています。今は、5社で実際に現場に赴いて働きながら、別の2社で顧客責任者を担当しています。

ーーこれからやってみたいことはありますか?

シェアード社員として働くにはある程度の体力が必要ですよね。自分はそのうち限界がきそうだなと感じていて、でもだからといってお客様先に行かなくなったらUGを離れるのはなんか癪だなと。そこで、ちょっと仕事から離れたら戻りにくくなってしまった人に向けて”いったん離れてもかんたんに戻れる仕組み”を作りたいなと思ったんです。

ーーおお!具体的なイメージがあればぜひ聞きたいです。

田舎にUGメンバーみんなが自由に使える保養所をつくって、疲れた人はそっちで働いてもらうようなイメージですかね。やりたいことがあって退職するのは仕方ないけど、さまざまな理由で一時的に離れてしまい戻りにくいと感じて退職してしまった人もいると思うんですよね。「給与出るからそっちでいったん休んで、元気になったらまたシェアード社員としてお客様先に行こう!」と思えるような、ポジティブに行けるような場所にしたいです。

若い世代は今「働くこと」を中心に考えていると思うけど、いつ体が動かなくなるかわからないし、そうなってから考えると遅いので、今のうちに僕らが選択肢をつくりたいなって思っています。

ーー責任感強いですね!

先頭に立ちたいだけなんで(笑)

ーーめちゃめちゃ素敵です!ぜひ実現してほしいです。

今思い出したけど、父に「夢があったら言っとけ」って言われて育ったんです。口に出しておけばなにかのタイミングでチャンスがくるからって。で、僕の昔からの夢は「銅像を作ってもらえるようなことをしたい」なんです。この保養所が実現したら、銅像を作ってもらおうかな(笑)

ーーそしたら保養所に手羽(塩)さんの銅像を立てましょう!本日はたくさんのお話ありがとうございました!

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